長篠城・設楽原
築城年⇒永正5(1508)年 一説であり定かではない
築城主⇒菅沼元成
所在地⇒愛知県新城市長篠字市場
アクセス⇒新東名高速新城IC下車、国道151号経由約10分
御城印⇒設楽原歴史資料館販売(毎週火曜、年末年始休)
登城日⇒2023年1月15日
★縄張り
南を宇連川、西は豊川、共に50mの断崖である。南北は矢沢の険しい谷がある。平地面を水堀と土居、外郭は柵または塀で囲んだ。天然の要害に建つお城でした。
★歴史
天文15年に今川氏が遠江国から三河に攻め入ると、三河のほとんどを今川氏が領有した。元々長篠城は長篠・菅沼氏の治めていたお城でした。菅沼氏は今川に従属したが、今川義元死後今川VS松平の争いが勃発。その後菅沼氏は家康に従ったが、元亀3年には武田信玄が遠江国に攻め入り武田氏へ従うことに。武田信玄死後には徳川家康が長篠城を奪取し、菅沼氏の時代は終焉を迎えた。天正3年には武田氏に叛いた奥平氏が入城、武田勝頼が長篠城を包囲し「長篠・設楽原の戦い」が起こり戦いの舞台となる。
★遺構
📸案内図
📸土塁と堀
📸主郭
📸設楽原の馬防柵(再現)
📸設楽原鉄砲構え(再現)
★感想
武田氏滅亡へのきっかけを作った戦いでもあり、鳥居強右衛門のエピソードや武田家臣団の主要メンバーの死は心にぐっときます。私は武田信玄・武田家臣団が大大大好きなので、設楽原に行くと悲しい気持ちになりました。大河ドラマどうする家康ではどのように描かれるのか楽しみです。奥平氏の名を上げたのもこの戦い。様々な歴史が詰まっています。
遺構としては横矢掛けの大土塁・堀が素晴らしかったです。設楽原では馬防柵の再現がされていました。山県昌景公のお墓参りもご一緒に。忠臣で強くて、大好きな武将です。私の中では赤備えと言えばこの方が一番に浮かびます。
遺構は勿論素敵で、歴史的にも価値のある場所です。ぜひ一度\( ‘ω’)/
城和子