益富城(大隈城)-福岡の名城、一夜城伝説を巡る-
益富城(大隈城)-福岡の名城、一夜城伝説を巡る-

築城年 1429-1441年(?)
築城主 大内 盛見
登城日 2023年5月10日
★登城まで
フェリーで新門司港に早朝到着して車を走らせ、小倉南インターから約1時間で到着。駐車場、お手洗い完備。現在は自然公園として整備がされている。
フェリーは眠りながら移動できること、自家用車を積み込めることが最大のメリット。九州への往路はほとんどの場合フェリーを利用します。帰路は地道に運転して帰りますが、中国地方はとても広くこれが結構ハードです。
★歴史
築城年、築城主は冒頭に記載しているが定かではない。記録上では「筑前国続風土記」に秋月氏の居城であるという事が記載されており、秋月氏の城郭であることは確かである。
秋月氏は島津氏と手を結んでおり、豊臣秀吉による九州攻めでは豊前の岩石城で戦となったが敗北。この時益富城には秋月種実が布陣していたが、岩石城落城後益富城を捨て本拠に戻った。空城となった益富城には豊臣秀吉が入り、郡内一帯にかがり火をたかせ大軍を装い、戸板や和紙で城壁に見立てて秋月氏の戦意を喪失させたという言い伝えがある。これが一夜城伝説ですが、根拠となる文献はなく不確かではある。
慶長6年に黒田長政が筑前に入封し、家臣の後藤又兵衛基次が城主となり改修と城下町の整備を行った。又兵衛が出奔後は母里太兵衛友信が城主となるが、その後の一国一城令で廃城となる。
★縄張り
標高190mの山頂付近に主要部を、防衛ラインとして北東側の尾根線上に外郭部を置く。大手口・搦手口はともに枡形虎口により守られており、本丸と二の丸近くには畝状竪堀が配置されている。また北東側には横矢が多用されており山稜側の守りを高めるための工夫がある。
★遺構写真
📷外郭部







📷水曲輪



📸二の丸側の畝状竪堀

📷横堀




📸 枡形虎口(搦手門跡)


📸 横矢・土塁・櫓台跡

📸伝白米流し跡
写真ぶれててすみません(;^ω^)秀吉が白米を流して滝のように見せた伝説があるそうです。食べ物は大切にしましょう…笑

【主郭】
📷櫓台

📷曲輪跡




📷旗立石

📷櫓台・枡形虎口



📷主郭側の畝状竪堀


★感想
秋月氏、黒田氏の遺構があることや遺構の残存度から、とても楽しめる素敵なお城でした。福岡県は畝状竪堀が多用されたお城が多く、益富城の畝状竪堀もやや埋もれていますがしっかりと残っています。畝状竪堀は相当しっかりと残っていなければ写真には写りにくいです。いろいろな角度から試しますが難しい。石積み、堀、土塁、水の手など山城の魅力が詰まったお城。そして駐車場からも遠くないし大変な道もないです。お手軽で技巧的な山城なので超おススメです‼💛
益富城は1年以上前の登城ですが、最近では福岡県の花尾城へ行きました。こちらの畝状竪堀も素晴らしかったです。秋月城も城下町含め良いです。福岡県は古代山城~近世城郭まで幅広く楽しめることが魅力ですね。
【世界遺産】姫路城 ~搦手周辺特別公開~
姫路城

アクセス JR姫路駅からバスor徒歩
登城日 2024年9月19日
★登城まで
姫路城は何度目か忘れる程行っている過去最多のお城です。最近では特別公開に合わせて行くようになりました。搦手周辺はなんと9年ぶりの公開です。大手から入り天守群、西の丸を経て登城するいつものルートに加えて井郭櫓(いのくるわやぐら)から搦手に向かいます。搦手から退場も可。入城料は1000円に特別公開の200円で1200円です。姫路市民以外は値上げ検討中らしいですね。特別公開で行っていると毎回1000円+特別公開料金がかかり、地味に痛い出費になります。市民は安いというのは色々なお城でしていますし、姫路城は多少高くても集客できると思っています。2000~3000円で検討中ということです。賛否両論だとは思いますが、お城の規模や見所の多さを考えると妥当なのでしょうか。行く度どこか修理している印象はありますので、普通に維持費がかかるのでしょう。
★縄張り
全体の縄張りは割愛。といっても姫路城の記事上げていないので、いずれ数回に分けて公開します。連立式天守群を中心に、現存する櫓や門が多数あり、搦手は東側に位置し、“との一・二・三・四門”といった4つの門と櫓により守られ、侵入できたとしても天守や東小天守、櫓からの攻撃で容易に近づけない。
★歴史
姫山に砦が築かれたのは1333年赤松氏の時代といわれている。羽柴秀吉の明智光秀討伐でも物資の中継基地として姫路城の存在は大きかった。西国の重要拠点であり、現在の形を造ったのは慶長期池田輝政改修によるもの。江戸時代は西国の監視として譜代大名が城主を務めたことからも如何に姫路城を重要視していたか分かる。
★遺構たち📸
防御機構が分かりやすいようにとの四門から順に行きます。
📷との四門 搦手口最初の門 高麗門/重要文化財


📷通路は折れて侵入を遅らせている
との三門跡は 明治時代に取り下げられ現存していません。




櫓からの攻撃が怖いです⚡

📷長壁神社遺趾

📷との二門 高麗門/重要文化財




📷との一門 櫓門/重要文化財
坂虎口で勢いを弱め、との二・一門で枡形空間を形成。との一門とトの櫓から攻撃を受ける。



📷との一門を突破した先の空間。大天守・東小天守・折廻り櫓から攻撃を受ける。への門とちの門に分岐している。


📷トの櫓・との一門内部


📷ちの門 棟門/重要文化財

★感想
去年の特別公開は折廻り櫓であり、此方も行っていたのでイメージしやすかったです。東小天守から搦手が見えるのですが、上がってくる敵が丸見えです。斜度も意外とあるので平山城の地形を生かしている造りですね。現存建築物が多いので敵の気持ちになれるし、反対に防衛側だったらどこに兵を置くかなとか考える事が楽しいです。一方ではなく他方から攻撃される仕組みを形成しており、攻めるのが怖いですね。
姫路城に関しては唯一無二であり、好きなお城は?とか一番良いお城は?と聞かれた時にそもそもそんな次元を超越したお城だと思っています。好きとか良いとかそんな言葉で表すことは出来ません。建築物としても歴史的にも最上級に価値がある。でもこれってお城巡りを始めて分かったこと。姫路市民の知り合いがいますが、姫路城と他のお城と比較して「〇〇城行ったけど建物が思ったより少なかった」「やっぱり姫路城ってすごいなと思った」という感想を言います。姫路市民は姫路城が慣れ親しんだお城なので比較する気持ちは分かりますが、姫路城を見すぎて感覚が麻痺していると思います(笑)これは私の意見ですが、お城同士は比較せずそのお城の価値に目を向ける必要があると思っています。楽しいですね。お城に人生狂わされている。
城和子
篠ノ丸城~西播磨の山城イレブン~
篠ノ丸城
築城年 南北朝時代
築城主 赤松顕則
最上山公園に駐車場有。主郭までは徒歩約30分、整備された登城路を登る。
登城日 2021年5月8日
★登城まで
この頃はお城の遺構について勉強中だったこともあり、手探り状態でした。今となっては縄張り図必須で見所も余すところなく堪能するところですが、多少の未熟さはお許しを。こうして見返すと素晴らしいお城なのでぜひ再訪したいですね。ちなみにここはヤマビルの生息地です。吸血対策はしっかりとすることをお勧めします。秋に行くと最上山公園の紅葉が美しいです。
★縄張り
標高324mの篠山に築かれた連郭式の山城。主郭は南西に土塁と堀を備え、南側に虎口が設けられている。最大の見所は尾根の西端を遮断する三重の堀切と北側斜面を走る畝状竪堀。結構埋まっていますが、遺構はしっかりと残っています。
★歴史
赤松一族の守護代宇野氏は宍粟郡広瀬に居館を置いた。その背後の山上に構えたお城が篠ノ丸城である。南北朝期に赤松顕則が登場を築いたと言われる。天正二年(1578)宇野政頼は篠ノ丸城主であった嫡男満景との確執から廃嫡し殺害したと伝わっている。天正八年には秀吉の播磨攻めの際に長水城と共に落城。黒田官兵衛が居住したと言われる「山崎の城」はこの篠ノ丸城ではないかという見解もあるが、定かではない。
★遺構たち📸
📷登城口 綺麗に整備されている

📷主郭虎口


📷主郭


📷主郭空堀と土塁

📷二ノ丸

📷三重堀切



ちょっと待って、過去のわたくし、最大のやらかし
畝状竪堀の写真がない(;^ω^)(;^ω^)
★感想
典型的な中世の山城で、同じく宇野氏居城の長水城のように石積み遺構はないですが、三重の堀切や畝状竪堀は是非現地で体感してみて欲しい。赤松氏の山城で畝状竪堀は結構見られる遺構です。堀・土塁がしっかり残っているなという印象。畝状竪堀の写真がないのは何故?覚えています。この頃お城初心者で写真もへたくそでちゃんと撮れなかったの。ちゃんと畝状竪堀とは何かを調べたうえで登城しているので現地ではしっかりと堪能しています。リベンジしたいなぁ、、、
西播磨は山城整備に力を入れています。書籍の販売、御城印、山城ガイド、山城ツアー、アプリ開発等本当に素敵な企画が沢山あります。西播磨山城イレブンというものがありまして、8城行きましたがどこも素晴らしいです。「中世播磨250の山城」という書籍は播磨の山城巡りに超おすすめです。それにしても、どうして西播磨は山城を推そうと思ったのかは謎ですね。正直山城で100名城・続100名城以外のお城って観光資源としての集客力あるのかな?と思います。よほど熱量のある方がいらっしゃったのかもしれない。どんな形であれ山城の素晴らしさ、熱量、愛情を感じるので西播磨地域はお城好きにとって素敵な所だと思っています。ガイド養成もかなり本格的なのでガイド利用もぜひ。ちなみに宣伝しているけれど私は主催の西播磨ツーリズム振興協議会の回し者ではないです\( ‘ω’)/笑 陰ながら応援しつつ西播磨の山城をSNSでPRしているただの山城ファンです。
楪(ゆずりは)城~岡山の中世山城~
楪城
築城年:鎌倉末期
築城主:新見氏
登城日:2023年5月1日
★登城まで
岡山県新見市の山城。公共交通機関でアクセスは難しいので自動車推奨です。駐車場有。私は主郭から周る側から登城し駐車場への道がとても狭かったのですが、後々調べると三の丸側の大手道が行きやすかったらしいです…。ゆずりは、最初読めませんでした。
★縄張り
本丸は標高490mにあり四つの壇から成る連郭式山城。城内の最高所は二の丸。本丸・二の丸・三の丸から成り、堀切・石積み・井戸跡・郭等が残る。高梁川と矢谷川に囲まれた要害で、備中では松山城に次ぐ規模と言われる。
★歴史
鎌倉末期に新見氏によって築城されたと言われている。新見氏を滅ぼした三村氏が永禄十年(1567)に入城。天正三年に三村氏は毛利方の小早川隆景率いる諸将により滅ぼされ、吉川元春の家臣今田常高が在番となる。関ケ原合戦で毛利氏は敗れ、楪城も廃城となった。
★遺構たち📸
📷本丸 四壇の郭となっている。



📷帯曲輪 本丸と二の丸を結ぶ長さ約80mの郭

📷二の丸・虎口




📷三の丸北の堀切



📷三の丸

📷井戸跡

📷石積み


★感想
主郭までは比較的簡単に行けますが、連郭式で規模も大きいので歩行距離は結構あります。お城を整備されている方がいてご挨拶しました。翌日に小学生が訪れる予定らしく、地元で親しまれているお城なんだなぁと思いました。私が行った日は貸し切り状態。個人的に三の丸北の堀切が良かった。岡山県の山城は派手さこそないですが整備されている所も多く中世山城の宝庫です。もちろん備中松山城や岡山城といった著名なお城も捨てがたいですが、山城ファンならぜひ行っていただきたいお城が沢山あります。浦上・宇喜多・赤松氏の山城はすごくおすすめ。5月の攻城は少しずつ草が生えてきて他の方のブログと比べると違うお城みたいに見える(;・∀・)
【100名城】松代城 ~真田氏ゆかりの地を訪ねて~
築城主:武田信玄
登城日:2022年09月23日 2024年08月10日
★登城まで
二度目の訪問です。
松代城周辺には色々と史跡があってsetで巡ることをおすすめします。ちなみに私の行った場所はこんな感じです。↓↓
2022年:松代城⇒真田邸⇒真田宝物館⇒川中島古戦場⇒荒砥城⇒上田城
2024年は松代藩ゆかりの佐久間象山先生に注目。吉田松陰と共に幕末の人物の中で結構好きです。攘夷派も開国派も日本を愛する気持ちに違いはないですよね。形が違うだけで。ちなみに私は毛利家大好きなので…幕末は長州藩推しでございます。
★縄張り
千曲川を外堀とした天然の要害です。輪郭式平城。本丸は総石垣造りですが、注目は土塁も多用されている所ですね。
★歴史
川中島の戦いで武田信玄が山本勘助に命じて築城させた海津城が前身となっている。武田氏ゆかりのお城で高坂弾正が城代を務めていた。この方は信玄公が残したラブレターで有名ですが、それ以上に武将としても優れています。真田丸で彼の息子である高坂昌元(春日信達)が登場し、北条と上杉の狭間で揺れ最期は中々悲惨な感じでしたが…。あの磔のシーンは記憶に残っている方も多いはず。乱世で生き残るって本当に大変。武田氏滅亡後の武田家臣たちの身の振り方も追ってみると面白い。関ケ原の後、真田信之が入城し明治まで真田氏の居城となった。
★遺構たち📸



📷太鼓門前橋・橋詰門・太鼓門 ここが大手ですね。枡形になっています。



📷北不明門 搦手にあたります。

📷戌亥櫓台

📷埋門

📷土塁
★感想
松代城はお城単体でも楽しめますが、注目すべきは周辺の史跡が充実していること。真田邸とか文武学校はかなり面白いです。真田家好きな方も多いと思うので、上田と松代は外せませんね。それにしてもあれだけ苦しめられた真田を信濃に置くとは…と思うけど、戦国時代の信濃は国衆が集まって形成されていたことが鍵でしょうね。
夏の暑い時期は平城でも結構大変です。あと夏休みシーズンに現存天守行く観光客の方結構いますが、私は断然資料館になっているお城派です。姫路城の限定公開を夏にするから仕方なく行って、もう行きたくないってなりました。現存天守の順番待ちや混雑で内部は密になっていて暑い。資料館になっているお城だと冷房もあり、涼しいので良いですね。
ちなみに今回の旅では松本に宿泊したので夜の松本城に行きました。長野県は避暑地が多くて夏には毎年登山に行っています。夜の松本城はとても幻想的かつカッコいい!
東濃の山城 小里城跡
岐阜県の山城 小里城跡

日帰りで明知城・小里城山城に行きましたが、この2城が最高すぎました!そして歴史的にもつながりの深いこのお城を同日に攻めることができて嬉しいです。東濃地方も名城揃いで最高ですね。この辺りだと岩村城が有名ですが、一度行っているので今回はなし。良いお城なのでまた行きたい。
年間を通してよく行く場所は岐阜・長野・静岡・愛知ですが、実はどこもそんなに近くない。ちなみに一番好きな都道府県は断トツで長野県。好きすぎて移住考えていた時期もありましたが、好きだからこそ永遠の憧れとして遠くに在って欲しいとも思う。複雑ですね。
少し前に北関東~信越あたり行ったけど、休憩や仮眠含め12時間以上かかったので車の限界を感じました。でも何故か車で行ってしまう。今年は初の東北遠征が目標です★★
★登城日
2024年4月14日
★登城まで
明知城を攻城後に「農産物等直売所 きなぁた瑞浪」で御城印を入手し登城しました。県道を挟んだところに駐車場完備、トイレなし。駐車場から本丸跡まで600m、約30分の道のりです。大手の登城路は整備されていますが山道なのでそれなりの装備は必要。
★縄張り
標高405m、比高180m
山麓に慶長期の遺構である御殿場跡があり、山頂部には本丸曲輪を中心に中世山城の遺構。御殿場跡の東側の尾根部には東砦跡があり、曲輪や堀切が残っている。
★歴史
城山に築かれた山城で小里城山城跡とも呼ばれている。築城主は小里光忠、築城時期は天文元年(1532)とする説と天文3年(1534)とする説がある。戦国時代末期の天正元年には織田信長が改修を命じ、池田恒興を置いて対武田戦の重要基地とした。慶長5年の関ケ原合戦後に再度小里氏の居城となり、山麓部の御殿場跡を居館とするために改修を施した。
★遺構たち📸
📷伝大手門跡 御殿場跡の虎口 石垣が残る。


📷御殿場跡


📷大手道


📷石積 大手曲輪~二ノ曲輪


📷天守台



不等辺多角形の天守台は安土城との類似性が指摘されているが、詳細は明らかになっていない。
📷本丸には矢穴が穿たれた石材が多数


📷搦手の堀切 *ここに行く道はないので注意 主郭から伸びる尾根を降ります。



📷搦手道

📷東砦跡
この標識に騙されました。紛らわしい…。堀切ではないけど、谷が御殿場跡と東砦を隔てており地形を生かしている。

📷これが本当の堀切


★感想
基本的に山城は安全のため登城路が整備されている所に行きますが、今回は国土地理院の地図を使ったGPSアプリで尾根を探して搦手と主郭を隔てる堀切まで降りました。行って良かったとは思いますが、装備と経験の大切さを知りました。主郭から尾根に繋がる場所には丁度石積みがあり私は見つけるのに難渋しました。地図やGPSなしに適当に行けそうな尾根を見つけて降りて、は滑落や遭難の原因になるので…。一応パンフレットの縄張り図には堀切超えて搦手道~曲輪まで書いてあるので、実は私が見つけられなかった道があったのか?と思ったけどやっぱり他の方のブログ見ていると道はないみたいですね。素晴らしい遺構なので今後の整備を期待したい!
明知城で巨大な畝状竪堀を見て感動した後だったので大丈夫かな…なんて失礼なこと考えていましたがその考えは吹っ飛びました。素晴らしいお城です。特に天守台はこの先研究が進んで安土城との関連が証明されたら熱いですね\( ‘ω’)/
東濃は織田と武田が激戦を繰り広げた土地でもあり、小里氏もその戦いに加わっています。激動の時代を生き抜いてきた一族ですね。戦国時代の岐阜県には戦いの歴史が沢山詰まっており、その影響で山城の宝庫でもあります。4月末には飛騨・高山に行っていますし、1か月空けずに2回行っていますがまだ足りない!雪が降る地域の山城は冬に気軽に行けないから、登城できる時期が限られるのが残念です。
本佐倉城~土の巨大城郭を巡って~
築城年 文明年間(1469~1487年)
築城主 千葉氏
京成大佐倉駅より徒歩10分、東関道佐倉インターより車10分
登城日 2023年11月29日
★登城まで
2泊3日関東千葉・埼玉の旅でした。本佐倉城跡案内所でパンフレットとスタンプを入手。なんと人生初のガイドさんと城攻め。無料ガイドで予約も不要なのでお気軽にお願いできます。
★縄張
標高約36mの台地に築かれ、堀や土塁を配置して郭を作った土城である。東西約700m、南北約800m、面積35万㎡におよぶ城域の中に10の郭を持つ。元々城の北側には香取の海がある天然の要害。南側は街道の交差地点にあたり、水路・陸路共に交通の要所に立地している。
★歴史
千葉輔胤が千葉城より移転し築城した大規模城郭。千葉氏九代の居城として1590年まで存続する。千葉氏は北条氏に味方したため豊臣秀吉の小田原征伐で滅亡。これにより本佐倉城は廃城となった。千葉氏は8代目当主邦胤が北条氏政の娘を妻に迎えるなど、北条家との結びつきが強い。
★遺構たち📸
📷東山虎口


2つの門(櫓門・冠木門)と先が見通せない蛇行した通路、内枡形により厳重に守られている。櫓門、東山からの一斉射撃で終わりです。まず1回ここで討たれました。
📷Ⅳ郭虎口


📷大堀切


城山と奥ノ山を分断する堀切。高低差6m。
📷城山通路


城山虎口までの高低差は7m、折れにより防御を高めている。城山へ登るための唯一の通路である。
📷城山虎口


左折れの坂虎口になっており城山から見るとその形がよく分かる。ここでもう一回討たれた。
📷城山⇒本丸にあたり、土塁が巡っている。

📷奥ノ山(=妙見郭)


📷妙見神社

元々は奥ノ山にあったもの。妙見様は千葉氏の守護神だそうです。
📷セッテイ虎口

📷セッテイ山

接待する場所でセッテイの名はここからきていると言われています。立ち入り禁止⛔
📷セッテイ山の空堀たち


ここの空堀はとにかくすごい。写真で見るよりも現地で!堀底まで行けるのでぜひその規模を体感して欲しい。
★感想
今回はガイドさんと一緒でしたが、私は写真も思い出も残したいタイプなのでガイドさんと周り、その後もう1回1人でお城を探索しました。ガイドしていただくことはとても貴重な経験でしたが、遺構を全部余すことなく見て写真を撮りたいという私のスタイルだとご迷惑をかけそうで(;・∀・)でもとっても分かりやすくて参考になりました。ありがとうございました☆
本佐倉城は見応えもあり整備も行き届いています。堀切や虎口、土塁などの土城遺構が素晴らしいですね。セッテイ山は冬をおススメします。11月でも若干草が茂っていて、あまり行く人がいないのか蜘蛛の巣が…。行けば空堀の迫力・深さに圧倒されます。