本佐倉城~土の巨大城郭を巡って~

築城年  文明年間(1469~1487年)

築城主  千葉氏

アクセス 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉

     京成大佐倉駅より徒歩10分、東関道佐倉インターより車10分

登城日  2023年11月29日

 

★登城まで

2泊3日関東千葉・埼玉の旅でした。本佐倉城跡案内所でパンフレットとスタンプを入手。なんと人生初のガイドさんと城攻め。無料ガイドで予約も不要なのでお気軽にお願いできます。

 

★縄張

標高約36mの台地に築かれ、堀や土塁を配置して郭を作った土城である。東西約700m、南北約800m、面積35万㎡におよぶ城域の中に10の郭を持つ。元々城の北側には香取の海がある天然の要害。南側は街道の交差地点にあたり、水路・陸路共に交通の要所に立地している。

 

★歴史

千葉輔胤が千葉城より移転し築城した大規模城郭。千葉氏九代の居城として1590年まで存続する。千葉氏は北条氏に味方したため豊臣秀吉小田原征伐で滅亡。これにより本佐倉城は廃城となった。千葉氏は8代目当主邦胤が北条氏政の娘を妻に迎えるなど、北条家との結びつきが強い。

 

★遺構たち📸

📷東山虎口

2つの門(櫓門・冠木門)と先が見通せない蛇行した通路、内枡形により厳重に守られている。櫓門、東山からの一斉射撃で終わりです。まず1回ここで討たれました。

 

📷Ⅳ郭虎口

 

📷大堀切

城山と奥ノ山を分断する堀切。高低差6m。

 

📷城山通路

城山虎口までの高低差は7m、折れにより防御を高めている。城山へ登るための唯一の通路である。

 

📷城山虎口

左折れの坂虎口になっており城山から見るとその形がよく分かる。ここでもう一回討たれた。

 

📷城山⇒本丸にあたり、土塁が巡っている。

📷奥ノ山(=妙見郭)

📷妙見神社

元々は奥ノ山にあったもの。妙見様は千葉氏の守護神だそうです。

 

📷セッテイ虎口

📷セッテイ山

接待する場所でセッテイの名はここからきていると言われています。立ち入り禁止⛔

 

📷セッテイ山の空堀たち

ここの空堀はとにかくすごい。写真で見るよりも現地で!堀底まで行けるのでぜひその規模を体感して欲しい。

 

★感想

今回はガイドさんと一緒でしたが、私は写真も思い出も残したいタイプなのでガイドさんと周り、その後もう1回1人でお城を探索しました。ガイドしていただくことはとても貴重な経験でしたが、遺構を全部余すことなく見て写真を撮りたいという私のスタイルだとご迷惑をかけそうで(;・∀・)でもとっても分かりやすくて参考になりました。ありがとうございました☆

本佐倉城は見応えもあり整備も行き届いています。堀切や虎口、土塁などの土城遺構が素晴らしいですね。セッテイ山は冬をおススメします。11月でも若干草が茂っていて、あまり行く人がいないのか蜘蛛の巣が…。行けば空堀の迫力・深さに圧倒されます。

諏訪原城 ~憧れの城郭を訪ねて~

築城年  天正元年(1573)築城、天正三年(1575)大規模改修

築城主  武田勝頼

所在地  静岡県島田市菊川城山

登城日  2023/10/27

 

★登城まで

諏訪原城はずっと憧れていたお城でようやく行けました。前日に車で出発し、8時頃より攻城しました。諏訪原城ビジターセンターは10時開館なのでお城見学の後に行きました。限定御城印発売中です。

ちなみに二の曲輪中馬出は工事中のため正面から見学不可!!絶対再訪します\( 'ω')/

 

★縄張り

東麓は大井川側にあり要害地形、西側は平坦地が広がる「後堅固の城」です。馬場美濃の縄張りと言われており、本丸を空堀二本で囲んでおりその堀は深く幅も広く見所となっている。丸馬出により防御を高めている。

 

★歴史

武田信玄没後、武田勝頼遠江攻略のために築いたお城。勝頼が長篠の戦いで大敗後、家康が奪い取りその後は牧野城と改め大改修を施された。

 

★遺構たち

📷大手南外堀

 

📷二の曲輪北馬出の薬医門(復元)

📷二の曲輪中馬出

巨大な三日月堀は工事中のため正面からは見学不可。中馬出と北馬出は土橋で連結しており北側の守りを固めている。



📷本曲輪周囲の空堀           📷カンカン井戸    

📷内堀 堀の中から撮影。かなり深くて巨大です!

📷南東端には3つの馬出+堀 最後まで感動させてくれます。

 

★感想

三日月堀と丸馬出、それに巨大な空堀たち。最高すぎました。最高でしたが…引っ付き虫の餌食になりました。服の繊維に入り込み、ちくちくと痛くて大変でした(;・∀・)

丸馬出に立ち堀を見下ろしそこを登る兵の姿を思い浮かべ、とても楽しかったです。諏訪原城大好きになりました。また行きたい。ちなみに朝8時に行ったのでほぼ貸し切り。すごく諏訪原城に詳しい方に出会い色々とお話下さったのですが、ビジターセンターの方でした!ありがとうございました☆

静岡県好きだけど宿泊が必要な遠い存在と思っていたのに…とうとう前夜出発日帰り圏内になりました(笑)活動範囲が年々広がって感覚がおかしい。本当は高天神城とsetと考えていたのですが、100・続100名城巡り急ぎすぎかな?とも思い始め、最近心境の変化がありました。やはり選ばれるだけあり名城揃いなので、これらを楽しみに残すことでもう一度行った土地に訪れるきっかけにもなる。100・続100名城以外のお城にも沢山訪れ、その魅力に惹かれたからこそ今のこの考えがあります。ということで、この日は諏訪原城→小山城→勝間田城→二俣城のコースでした。

 

閲覧ありがとうございました。次の遠征は関東予定。大好きな後北条氏!!

勝賀城【香川県/市史跡】

築城年  1222年

築城主  香西氏

所在地  香川県高松市

登城日  2022年12月29日

 

★登城まで

一般的な知名度こそ高くないものの、色々なblogで絶賛されていたので登城を決めました。引田城へ登城後に訪れました。

 

★縄張り

梯郭式山城

土塁に囲まれた本丸跡、その東南に木戸口が開かれ、北辺の土塁の食い違い虎口で二の丸の四郭に連絡、東に下がって三の丸の二郭につながる。戦時の詰城なだけあり、防御力の高いお城です。

 

★歴史

室町時代に讃岐の豪族香西氏の詰城として築かれた。平時の居城として佐料城が東麓にあります。長宗我部元親が讃岐に侵攻すると香西氏は長宗我部氏の配下となる。その後豊臣秀吉による四国征伐により香西氏は滅亡し、勝賀城は廃城となった。

 

★遺構たち📸

📷本丸跡

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📷主郭虎口


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📷石積み


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📷土塁

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★感想

主郭までは徒歩約40分、整備が行き届いており道迷いや藪漕ぎの必要は一切ありません。到着した瞬間素晴らしい土塁に迎えられます。遺構残存度、整備状況含め満足度の高いお城だと思います。四国山地の山間部以外は冬でも積雪が少ないため、四国の中でも香川県の瀬戸内海側は行きやすいです。四国にもまだまだ行きたいお城があります\( ‘ω’)/★

浜松城と大河ドラマ館【続100名城】

浜松城大河ドラマ

 

アクセス:浜松ICより約30分。駐車場有。

登城日:2023年7月13日

 

★歴史

永禄11年(1568)、徳川家康は今川領の制圧を開始。家康は駿府に攻め込んできた武田信玄に備え岡崎から三河に拠点を移し、元亀元年(1570)浜松城を築城した。徳川家康の出世城と言われている。慶長5年関ケ原以降は譜代大名が入り、堀尾氏の時代には天守が築かれたが17世紀中に焼失しており、それから天守は再建されていない。現在は1958年に建てられた鉄筋コンクリート造の模擬天守がある。

 

★縄張り

徳川家康の築いた浜松城の城郭は南北約500m、東西約450m。三方ヶ原台地の斜面に沿い築かれている梯郭式平山城

 

★訪城まで

山梨県の史跡巡りを前日にしてこの日静岡へ出発しました。アクセスが遠いのでお城は浜松城掛川城のみとなりましたが、大河ドラマ館にも行けて大満足です。

 

★写真集

📷模擬天守。野面積みの天守台石垣が良き。

 

📷天守門(H26年復元)

 

📷若き日の家康像

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📷天守曲輪石垣 見事な形です‼ 横矢になっています。

 

📷大河ドラマ館と浜松城

 

★感想

浜松の大河ドラマ館は三方ヶ原の戦いにも焦点が当てられており、家康最大のピンチと言われた三方ヶ原の戦いの説明がドラマに沿ってされていました。武田と徳川どちらも好きなので浜松には是非とも行きたかったのです。静岡県は行きたいお城が多すぎて個人的に大好きな県です。きっと今年中にまた行っていると思います\( ‘ω’)/

そして気まぐれな富士山はいつも雲の中。前日訪れた山梨からは頭だけよく見えました。

浜松城大河ドラマの影響か、観光客が多かったです。天守の写真も人が写らないようにかなり待ちました。天守門の再建と石垣、天守内の展示が面白かったです。

佐伯城【続100名城/国史跡】

築城年  1606年

築城主  毛利高政

所在地  大分県佐伯市城山

アクセス 佐伯駅から徒歩約20分 車で約10分

登城日  2023年4月6日

 

★登城まで

三の丸櫓門前駐車場から徒歩で主郭まで約20分。いくつか登城ルートはありますが、私は独歩碑の道(1番緩やかで登りやすい道)から登城しました。

 

★縄張り

標高144mの八幡山山頂一体に築かれた総石垣の山城。本丸を中心に南北に長く連郭式の縄張り。麓には三の丸がある。

 

★歴史

関ケ原の戦いで徳川方だった初代藩主毛利高政が海部郡に2万石を与えられ築城。1617年(元和3年)、火災により本丸と天守を焼失した。1637年3代藩主高尚が麓に三の丸を増築し、城の中心部として利用された。1871年明治4年)佐伯県庁が置かれ佐伯城は廃城となり、三の丸以外の建物は撤去された。

 

★遺構たち📸

📸三の丸櫓門

📸本丸天守台跡

📸廊下橋⇒本丸と二の丸をつないでいる防御の要所。

📸二の丸虎口(渡櫓跡)⇒屈曲しており通路も狭くなっている。

📸西出丸

北側園路から4段の階段状の石垣が見えるようです。本丸から覗き込んではみたものの、写真は撮れなかったが立派でした。

 

★感想

慶長期のお城ですがしっかりと戦闘向けにも造られています。廊下橋や曲輪を取り巻く石垣たちが本当に素晴らしいです。登城した際地元の方がおられて、続100名城選定以降は観光客が増えたとお話を聞きました。今までは人がいないのが当たり前だったそうで、地域の活性化にもつながっているとのことです。山城の好きなところは歩けば歩くほど遺構に近づき、いつの間にか山城の世界に入り込んでいる所です。竹田城のように麓から見える石垣の山城も良いのですが、麓から素晴らしい遺構の数々が見えないお城はわくわくします\( ‘ω’)/ちなみに出発時は雨で時間も押しており、何度か登城するか諦めるか葛藤しました。でも主郭へ登ったときは雨がやみ素晴らしい石垣に囲まれた時、登城をあきらめなくて本当に良かったと安心しました。とても楽しかったです。

長篠城・設楽原

築城年⇒永正5(1508)年 一説であり定かではない

築城主⇒菅沼元成

所在地⇒愛知県新城市長篠字市場

アクセス⇒新東名高速新城IC下車、国道151号経由約10分

    JR飯田線長篠城駅」下車徒歩8分

御城印⇒設楽原歴史資料館販売(毎週火曜、年末年始休)

登城日⇒2023年1月15日

 

★縄張り

南を宇連川、西は豊川、共に50mの断崖である。南北は矢沢の険しい谷がある。平地面を水堀と土居、外郭は柵または塀で囲んだ。天然の要害に建つお城でした。

 

★歴史

天文15年に今川氏が遠江国から三河に攻め入ると、三河のほとんどを今川氏が領有した。元々長篠城は長篠・菅沼氏の治めていたお城でした。菅沼氏は今川に従属したが、今川義元死後今川VS松平の争いが勃発。その後菅沼氏は家康に従ったが、元亀3年には武田信玄遠江国に攻め入り武田氏へ従うことに。武田信玄死後には徳川家康長篠城を奪取し、菅沼氏の時代は終焉を迎えた。天正3年には武田氏に叛いた奥平氏が入城、武田勝頼長篠城を包囲し「長篠・設楽原の戦い」が起こり戦いの舞台となる。

 

★遺構

📸案内図

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📸土塁と堀

 

📸主郭

📸設楽原の馬防柵(再現)

📸設楽原鉄砲構え(再現)

📸山県昌景墓所

★感想

武田氏滅亡へのきっかけを作った戦いでもあり、鳥居強右衛門のエピソードや武田家臣団の主要メンバーの死は心にぐっときます。私は武田信玄・武田家臣団が大大大好きなので、設楽原に行くと悲しい気持ちになりました。大河ドラマどうする家康ではどのように描かれるのか楽しみです。奥平氏の名を上げたのもこの戦い。様々な歴史が詰まっています。

遺構としては横矢掛けの大土塁・堀が素晴らしかったです。設楽原では馬防柵の再現がされていました。山県昌景公のお墓参りもご一緒に。忠臣で強くて、大好きな武将です。私の中では赤備えと言えばこの方が一番に浮かびます。

 

遺構は勿論素敵で、歴史的にも価値のある場所です。ぜひ一度\( ‘ω’)/

                      城和子

角牟礼城【続日本100名城・国史跡】

 

 

築城年  1154~1156年

築城主  源為朝 ※明確な資料なし

登城日  2023年4月5日 天気:雨

 

★登城まで

まずは豊後森藩資料館で続100名城スタンプと御城印を入手。三の丸駐車場に車を止めて登城。駐車場までは待避所はあるものの、結構細い道を登ります。駐車場に着いてすぐに立派な石垣が出迎えてくれます。

雨だったので雨合羽を着て登城しました。※雨の日は特に細心の注意を払って登城しています。

 

★縄張り

標高577m、盆地との比高差240mの角埋山に築かれた山城。豊後の境目のお城として豊前側に対する備えの城だった。切り立った岩盤が露出した天然の要塞で、三方を急峻な斜面で囲まれている。

 

★歴史

築城時の詳細は資料がなく不明だが、1476年志賀親家申状で初めて史料に登場する。1533年に城域拡大・城の整備が行われた記録があり、大内氏・島津氏の豊後侵攻に備えたと考えられている。1587年には島津軍と大友軍の戦い(豊薩戦)で6000人の島津兵に対し1000人で守り落城しなかった難攻不落の城。1600年黒田軍により開城し、1601年には毛利高政が転封し、二の丸・三の丸を中心に近世城郭として整備した。久留島氏入部後、2代目 通春の代で廃城となった。

 

★遺構たち📸

📸三の丸 城内最大の曲輪で大きな岩塊を取り込んだ石垣で曲輪を囲んでいる

📸三の丸竪堀

📸大手門

📸穴太積みの石垣 かなり長いです。これは素晴らしい!

📸(伝)二の丸跡f:id:history-like:20230504160742j:image

📸本丸跡 手前のみで奥は立ち入り禁止でした⛔残念…

📸角牟礼神社

📸展望地ですが、展望なし(;^ω^)真っ白

★感想

中世山城と慶長以降近世城郭のmixのお城で、竪堀や切岸など中世遺構を残しつつも立派な石垣が素晴らしいです。難攻不落ということは居住には不向きなわけで、役割を終えて廃城となったけど歴史が沢山詰まっていますね。雨だったので地形、山容はあまり分かりませんでした。でも霧と石垣はとても幻想的で美しい。晴れた日に九州の山々を眺めたいものです…!

 

さてさて余談ですが、大分県城巡りはかなりハードスケジュールでした。

1泊2日で大分県の100名城、続100名城を全部回るplanでした。

1日目:新門司港(福岡)⇒佐伯城⇒岡城⇒別府温泉

2日目:大分府内城⇒角牟礼城⇒中津城⇒自宅

ちなみにフェリーに車を乗せて九州入りし、帰りは車で帰りました。

運転しんどかった(;・∀・)

大分の広さを思い知りました。でも素敵な場所が多いです☆彡

多分もっと効率的な周り方はあったと思いますが、結構プランは毎回綿密に練っています。

本当は有名どころばかりではなく、山城巡りしたいですが時間の制約がありますからね。中世山城や総石垣の山城が大好きです。

でも結局はお城ならどこでも良いという結論に\( 'ω')/

お城好き師匠が城巡りは1人でするものだと言っていましたが、まさにその通り…1人だと無理なスケジュールを組んで好き放題できます。

そして今回の城巡り、中津城以外は全部雨・雨・雨・本当に時々曇り……。

ちなみに次回の遠征は富山・石川県を予定しています。

周囲の人にはこの熱量にドン引きされていますが、今後楽しくお城巡りしていきます!

 

 

                                                                                                                       城和子